12月27日 【新宿=伊那市】
「アルプス」と聞くだけで拒否反応が出てしまう僕にとって、ワンゲル最後の山行となるはずのこの計画がメジャー所というのは皮肉なことである。別に仙丈や甲斐駒という山々に対して恨みはないのだけれど、たくさんの人々に阿呆面を曝さなくてはならないと思うと、どうも気乗りがしないのである。しかしともかく行くとなれば楽しむほか手はない。3年間一緒に山をやってきた愛すべき弟のような奴が行きたいと願い誘ってくれた山なのだから、一人もやもやした気分のまま行くわけには行かない。しかし、出発の時が近づくに従って感情と理性はさらに相反する方向に向かい続け、僕はそれを為すすべもなく見守るしかなかった。とりあえず駒ヶ根へ行く高速バスに乗り込んだのは、いつもながらの惰性以外の何でもなかったかもしれない。
駒ヶ根という町には2回訪れたことがある。2年前の秋に中アを南部から縦走して空木から池山尾根を下ったときと、去年11月終わりに1月の偵察と称して倉本から空木に登り檜尾根を下ったときである。伊那谷は僕にとっては中ア空木の麓なのである。そして去年の同じ1月空木を狙ったのだが、伊那への縦走だけでなく頂上を踏むこともなく木曽へ戻っていったので、心残りのあるところでもある。その伊那へ、今度は南アを登りに来ているのである。天気予報を聞き喜び勇む他のメンバーを横目にそんなことを考えながら伊那市の駅横でシュラフにもぐり込んだ。
28日 【伊那市=戸台〜北沢峠〜仙丈二合目】 曇りのち晴れ
戸台川沿いの川原歩きは、雪もなく快適であった。谷の向こうに見える山の頂にはガスがかかっている。八丁坂を登り切り、雪が少し増え始めるとトレースが次第にはっきりしてき、人の匂いがたちこめているのが分かる。仙丈へ少し登ったところにとりあえずテントを張った。晴れていたが、寒かった。
29日 【二合目〜仙丈ヶ岳往復〜北沢峠〜仙水小屋】 快晴
仙丈への登りで単独行者とすれ違った。ピークには行けなかったと言っていたが、笑顔は爽やかである。登るぞ登れるぞ登ろうぞと息巻く我々とは大違いで、どちらかといえばピークに対するこだわりの薄い僕は、今回の山行で満足できるのかしら彼のような笑顔を浮かべて下山できるのかしらと自問していた。森林限界を超えると周りの山がよく見える。あれは何これは何と考えながら登るが、トレースを力強く辿り高度をぐんぐん稼ぐ登頂マシーン達に遅れてはならじと息を切らせてついて行く。
アイゼンを履くついでに2年生達とあれが明日行く甲斐駒であれが八ヶ岳だあれは木曽御岳だ北アだなんだかんだと話をした。北岳を指してあれが仙丈なんですよねなどと曰う御仁もいて、それは周りの景色にも惑わされずに登ることに集中できるだろうさ、と苦笑い。主稜線に出てからの尾根筋歩きは雪が飛んでいていまいちではあるが、心浮き立ち、他に登山者を見かけないのも手伝って上機嫌になる。それでも、ようやく着いたピークから中アがばっちり見えたときには、今いる南アよりもそちらに行くべきだと感じてしまう、そんな自分がいた。
帰りは楽ちんであるが、ボブスレーのそりを持っていけばより楽になりそうだ。
30日 【仙水小屋〜甲斐駒ヶ岳往復】 快晴
なんだかんだ言いながらも満足していた昨日の仙丈に比べ、今日の甲斐駒はベースの移動時から予想していたとおり人が圧倒的に多く、仙水峠ではご来光を拝む人たちとすれ違った。駒津峰への登りの中ほどで日が鳳凰の肩のあたりからでてきた。小休止してしばらく眺める。冷たく存在感のある空気を飲み込む。ヤマケイの写真コーナーにあるようなあからさまに感動を呼ぶ場面に相変わらず人並みの感激をする。後から来た人も一緒に見る。
さわやかな朝を背にまた登高を続ける。杉本光作さんの「一月の仙丈、甲斐駒ヶ岳」という文章によるとコース中もっとも悪い駒津峰からの急な下りのナイフリッジも昨日までのトレースが固まっていて、これもまた尾根状を行くボブスレーコース階段付きであった。甲斐駒頂上からの眺めは、他に人がいたこともあり、昨日の仙丈のものよりも暖かみがあった。凛とした空気の密度が薄いように感じられた。
仙水小屋の天場は水もありトイレもあり、それはもう快適そのものであったが、満足する自分に心が乱れた。せっかくのありがたい環境にただ感謝していればいいのに、若しくはそんなところは立ち去ってしまえばいいのに、どちらも出来ずただずるずると楽な場所低い場所に居着いてしまう、修行不足なんだろうか。
31日 【仙水小屋〜北沢峠〜戸台〜伊那市】 高曇り
あまりにもうまく行った山行は、結局年を越すこともなく下山で幕となった。せっかく大晦日までいたのだから、今日一日ぼけっとしてでも年を越したいという思いもあったが、押し寄せる人波のあまりにも多いのを下山中いやというほど知り、結果的には下山で正解だと思った。
別に僕は人と出会うことが嫌いなわけではない。それは山の中でも同じである。人のいないところを目指しつつそう信じ続けていた僕にとって、この日の人波はそんな幻想をうち砕くのに十分だった。場所柄か季節柄か都会のがさつさをそのまま持ち込む人の多いこと。山を登る、体力を失う、余裕が無くなる、そんなところから来るのかもしれないが、無神経な人の多いことに僕は怒りを通り越して諦念の境地に達していた。
ワンゲルを卒部して、どういうことをするのか、形だけできあがりつつある直登トラヴァースがどういう方向に向かうのか今は何も解らない。しかし、こういう人の多いところ、メジャーなところ、「アルプス」的なところにはあまり足を踏み入れたくないなと思った。それは自然の中にひときわ大きく見える人間の醜さを見たくないため、と同時に当然あるであろう我と我が醜さを曝さないためでもある。そうやって逃げを打つことに明日はないかもしれない。むしろそれとまっすぐ対面することに未来が開けるかもしれない。しかしその可能性の追求はもう少し修行を積んでからでも遅くはないのではないだろうか。
杉本光作さん『一月の仙丈、甲斐駒ヶ岳』「私の山 谷川岳」(中公文庫)
上記の他にも昭和十年当時のこのあたりのことが書かれており、その違いに驚くと同時に少しうらやましくも思った。